プロフィール

初めまして。姜榮曙(かんよんそ)です。

私は 48 歳で国家資格を取って鍼灸師になりました。もともと東洋医学や鍼灸に興味があっ
た訳ではなくて、母の介護を通して医療に興味を持ち、ある本との出会いがきっかけで鍼
灸の世界に入りました。

それまではもっぱら治療を受ける側だったので、鍼(はり)には不思議な縁を感じます。

自律神経を乱したフリーランス時代

私は鍼灸師になる前はフリーランスでイベントの企画をしていました。

広告代理店から依頼を受けて、販売促進イベントや PR イベントを考える仕事です。

当時は女性のプランナーが少なかったので重宝されましたが、厳しい締切りを守るプレッシャーと、結果を出さな
くてはいけないプレッシャーで、精神的な緊張が解けない毎日でした。

一日中座りっぱなしでパソコンに向き合い、大きな仕事になると事務所に寝袋を持ち込んで 24 時間体制で働きました。

キャリアが長くなるにつれて、慢性的に感じていた首・肩・背中のコリが取れにくくなり、深い呼吸ができなくなりました。そのうちに些細な事でキレる、突発的に激しい胃痛に襲われる、眠れない、寝てもすぐに目が覚めるといった自律神経症状を発症しました。

週に 1 度のマッサージ通いは欠かせず、睡眠導入剤が手放せなくなりました。

体と心の痛みに苦しんだ介護生活

40 歳を目前にした頃、母が 2 度の脳梗塞で寝たきりになりました。母の介護をする為に仕事を辞めて実家に戻りました。

介護生活の大変さは覚悟していたものの、実際は想像をはるかに超えていました。

体はもともと上半身がこり固まっていたところに、腰痛も加わり、ミシミシ痛む体を気力だけで動かしているような毎日でした。

介護生活が長期化するにつれて、体の痛みだけでなく心の痛みも感じ始めました。

自分だけが社会から切り離されたような疎外感、早くこの生活が終わって欲しいと願ってしまう罪悪感、これからの生活への不安などで気持ちが暗く沈みました。

悩みが深まるにつれ腰痛はどんどん悪化し、介護生活が 3 年目に入ったころ痛みとしびれで歩く事ができない間
欠跛行(かんけつはこう)の症状が出始めました。

病院でレントゲンを取ると腰椎の椎間板の一部がペチャンコにつぶれていました。

この時ばかりは気の強い私も「母を看取るまえに私の体が壊れてしまう…」と、精神的にかなり追い詰められました。

医療に興味をもつきっかになった感動体験

つらいことが多かった介護生活の中でとても嬉しかったことがありました。

それは私のリハビリで一時期母が劇的に回復したことです。

私の母は脳梗塞の後遺症で右半身麻痺、高次機能障害、ジャルゴン失語症(意味不明な言語)があり、日常生活のすべてに介助が必要でした。

食事も自力で取ることができず胃ろう(胃からの経管栄養摂取)をしていました。

食べることが大好きだった母にもう一度口から食事を取らせたいという一念で色々な本を読み勉強しました。

作業療法士の先生に意見を聞きながらオリジナルの食べる訓練とリハビリを続けたところ、86 歳だった母が驚異的な回復ぶりを見せました。

口から食事が出来るようになっただけでなく、感情表現も豊かになり、利き手ではない左手を起用に使えるようにもなりました。

担当医が「奇跡ですね」と驚いていました。

母がどんどん回復していく姿に生命の力強さを感じとても感動しました。

そしてその力を自分が引き出せたことに今まで感じた事のない満足感がありました。

この体験は私が医療に興味をもつきっかけになりました。

鍼灸師になる事を決めた本との出会い。良く働き良く学んだ学生時代

母を無事に自宅で看取り、鍼灸学校の学生になりました。

私が鍼灸師なることを選んだのは、ある本との出会いがあったからです。

それは「国境なき鍼灸師をめざして―メキシコ・グアテマラを行く」という本でした。

出版社勤務を経て鍼灸師になった男性が、鍼灸の治療をしながらメキシコやグアテマラの村々を旅する紀行文です。

旅が好きだった私は「鍼灸という技術を持てばこんな生き方も可能なんだ」とひどく興奮し、人生の後半を鍼灸師として生きることを決めました。

鍼灸学校に通った 3 年間は、昼間は介護施設で働き、週末はマッサージのアルバイトを掛け持ちしながら勉強しました。

毎日ヘトヘトで、実技の授業では真っ先に手を挙げて先生に治療をしてもらっていました。

同級生からは「不定愁訴のデパートメント」と呼ばれていました(笑)。

学生生活は肉体的には大変でしたが、それ以上に学校で学ぶこと全てが興味深く刺激的でした。

人生で初めて勉強が楽しいと思いました。

鍼をするのが楽しくて、毎日授業が終わるとクラスメートと鍼の練習をし、家では自分に鍼を打って体の変化を観察しました。

この時に始めた毎日自分に鍼をうつ習慣は今でも続けています。

深層筋治療との出会い

鍼灸学校を卒業した後は鍼の施術経験をどこで積むのかという課題に直面しました。

私の中では 48 歳で免許を取り、2 年間鍼灸院で修業をして技術を磨き、50 歳で独立するという
青写真がありました。

とはいえ、50 歳を目前にした女性を弟子入りさせてくれる鍼灸院などはあるはずもありません。

でも私は諦めませんでした。

来る日も来る日も憑かれたようにインターネットで鍼灸院の求人を探しました。

そして、卒業から 2 か月後とうとう見つけました。

それは深層筋治療の第一人者である角谷敏宣先生主催の技術セミナーで、セミナー終了後に受講者の中から 1 名を研修生として迎え入れるという内容でした。

私には勝算は全くありませんでしたが、技術を磨きたいという熱意は誰にも負けない自信があったので、このセミナーにかけました。

そして 4 か月のセミナー終了後、6 名の参加者の中から研修生に選んでいただきました。

実は角谷先生と私は誕生日が同じなんです。

不思議な縁だと思いませんか?

鍼灸師としてかなえたい 3 つの事

私には鍼灸師としてかなえたいことが 3 つあります。

1深層筋の鍼治療を広めて、たくさんの人を痛みから解放したい。

私が行っている深層筋の筋膜をターゲットにした鍼治療は、運動器疾患の改善には最強だと大真面目に思っています。

病院の画像検査や病名にとらわれず、この治療をたくさんの人に受けて欲しいです。

そして早く痛みから解放されて欲しいです。

21を叶える為に深層筋の鍼治療ができる鍼灸師を育てたい。

深部への鍼治療は日本の鍼灸学校では習うことができず、中国の針は深部に届きますがかなり痛いです。

痛みで苦しんでいる人にさらなる痛みを与えずに改善させられる鍼灸師を多く育てたいと思っています。

3深層筋を健康に保つことの大切さを伝えて予防医学に貢献したい。

深層筋(インナーマッスル)の健康は、姿勢の維持、肥満防止、認知症の予防にも効果があることが解っています。

深層筋を健康に保つことの重要性を伝えていくことで予防医学と医療費の削減に貢献したいと考えています。

いまだ1つも達成できていませんが、生涯現役で行くつもりで、一歩一歩確実に歩みを進めて行きたいと思っています。

いつか鍼と一緒に世界を旅することを夢見ながら。

経歴

姜 榮曙(かん よんそ)

大阪生まれの韓国系日本人 3 世。東洋鍼灸専門学校鍼灸科夜間部卒業。深層筋をターゲットにした施術が専門で特に首の施術が得意。2016 年 6 月深層筋のはり治療院 FREE(旧あんにょん鍼灸院)開院。好きな事は、旅、自然に触れること、ランチの食べ歩き。保護猫のリン太郎と暮らしています。