プロフィール

代表:姜榮曙(かん よんそ)

大阪生まれの韓国系日本人 3 世。
フリーランスのイベントプランナーを経て鍼灸師に。
東洋鍼灸専門学校鍼灸科夜間部卒業。
なおし家鍼灸院での修業、整骨院での自費治療担当の経験を経て独立。
2016年6月深層筋のはり治療院 FREE(旧あんにょん鍼灸院)開院。
深層筋をターゲットにした施術が専門で特に首の施術が得意。
好きな事は、旅、散歩、自然に触れること、ランチの食べ歩き。
保護猫のリン太郎と暮らしています。

ごあいさつ

深層筋のはり治療院FREEのサイトにお越しいただきありがとうございます。
初めまして、代表の姜榮曙(かんよんそ)です。

今このページをご覧になっている方は、体のどこかに痛みを抱えられ「どうすればこの痛みが取れるんだろう」という思いで、このサイトに辿りつかれたことと思います。

深層筋のはり治療院FREEは、筋筋膜性疼痛症候群(MPS)という、病気の改善を専門にしているのですが、実は私自身もMPS患者でした。それも何度も違う部位でMPSを発症しています。

みなさんは筋筋膜性疼痛症候群(MPS)という病名を始めて聞かれたでしょうか?私も鍼灸師になるまでこの病気の事は知りませんでした。その為に、痛みの原因も、どこに行けば治るのかが解らず、無駄にお金と時間を使ってきました。

この病気は知れば「なるほど」と納得し、自分で症状を軽減することも、予防も十分可能な病気なのですが、病気の存在自体を知らないがゆえに、痛みで苦しむ人が多いのです。かつての私がまさにそうでした。

私は色々あって48歳で鍼灸師になり、不思議な縁で深層筋治療という、MPSの改善にこれ以上の治療はない!と思える技術を習得することができました。何かこれまでの経験が全て、今の自分の為にあったよう気がしています。

私がそんな風に思うようになった経緯を、私の自己紹介としてお話させていただきますね。

首肩こりからの自律失調症 -フリーランス時代ー

私は鍼灸師になる前はフリーランスでイベントの企画をしていました。

広告代理店から依頼を受けて、販売促進イベントや PRイベントを考える仕事です。

当時は女性のプランナーが少なかったので重宝されましたが、厳しい締切りを守るプレッシャーと、結果を出さなくてはいけないプレッシャーで、精神的な緊張が解けない毎日でした。

一日中座りっぱなしでパソコンに向かい、大きな仕事になると事務所に寝袋を持ち込んで24時間体制で働きました。仕事が一段落すると、ストレス発散で飲み歩き、昼夜が逆転する生活が当たり前になっていました。脳がいつも興奮しているような変な高揚感のある毎日でしたね。

そんな生活を続けている内に、慢性的に感じていた首・肩・背中のコリが取れにくくなり、深い呼吸ができなくなりました。朝起きた時から体が重だるく、仕事が無い日は一日中ベッドの中で過ごす事が多くなりました。

そのうちに些細な事でキレる、突発的に激しい胃痛に襲われる、眠れない、寝てもすぐに目が覚めるといった自律神経症状を発症しました。

睡眠導入剤が手放せなくなり、頻繁にマッサージ店通いをしていました。医者からは規則正しい生活をして、運動するようにアドバイスされていましたが、当時の私はまともに聞いていませんでした。

腰痛と股関節痛、そして間欠跛行 -母の介護時代ー

40 歳を目前にした頃、母が 2 度の脳梗塞で寝たきりになりました。私は仕事を辞めて、母の介護をする為に実家に戻りました。

介護生活の大変さは覚悟していたものの、実際は想像をはるかに超えていました。

母は重い後遺症があったので、日常生活すべてに介助が必要でした。特に大変だったのは、ベッドから車椅子への移乗です。毎回の食事の時間はもちろん、母との散歩を日課にしていたので、その度に「よっこらしょ」と、体に全く力が入らない母を持ち上げていました。

そんな事を繰り返していたので、腰痛と股関節痛をひどく傷めてしまいました。もともと上半身がこり固まっていたところに、腰痛と股関節痛も加わって、ミシミシと痛む体を気力だけで動かしているような毎日でした。

私が体の痛みよりつらかったのは、介護生活が長期化するにつれて感じ始めた心の痛みでした。

一日中母の世話をするだけの毎日に、自分だけが社会から切り離されたような疎外感、早くこの生活が終わって欲しいと願ってしまう罪悪感、これからの生活への不安などで気持ちが暗く沈みました。気持ちが落ち込むと、体の痛みって3割増しくらいになるんですよねぇ・・・。

自分の体のケアをする時間はほとんど無かったので、腰痛はどんどん悪化しました。介護生活が 3 年目に入った頃には、痛みとしびれで5分と続けて歩く事ができない間欠跛行(かんけつはこう)の症状が出始めました。

整形外科でレントゲンを取ると、私の腰椎の椎間板の一部がペチャンコにつぶれていました。医者からは、加齢もあるしもう治らないから保存的治療で様子を見るしかないと言われました。

気の強い私もこの時ばかりは「母を看取るまえに私の体が壊れてしまう…」と、精神的にかなり追い詰められました。

医療に興味をもったきっかけ

私が医療に興味を持つきっかけになったのは、母に行っていたオリジナルのリハビリが劇的な効果を挙げたからです。

私の母は脳梗塞の後遺症で、右半身麻痺、高次機能障害、ジャルゴン失語症(意味不明な言語)がありました。食事も自力で取ることができず、急性期の病院を退院してすぐに胃ろう(胃からの経管栄養摂取)もしていました。

脳梗塞の後遺症で体の自由を失ったことも可哀そうでしたが、食べることが大好きだった母が食べる楽しみを奪われたのはとてもつらかったです。

母にもう一度口から食事を取らせたいという一念で、私は色々な本を読み勉強を始めました。作業療法士の先生に意見を聞きながら、オリジナルの食べる訓練とリハビリを根気よく続けたところ、86 歳だった母が驚異的な回復ぶりを見せました。

柔らかいパンから食べ始め、最終的には焼き肉が食べられるまでに回復したんです。胃ろうも外すことが出来ました。人間の欲を満たそうとする力はすごいですね(笑)。担当医は「80歳を超えて胃ろうを外せた人は見たことがない。奇跡ですね」と驚いていました。

一時は死の淵をさまよっていた母がどんどん回復していく姿を目の当たりにして、生命というものの力強さにとても感動しました。そしてその力を自分の努力で引き出せたことが嬉しく、今までの仕事では得たことのない満足感を感じました。

母を担当してくださった女性の作業療法士さんが、とても熱心で素敵な方だったというのも、医療職に興味をもつきっかけの一つでしたね。

慢性的な疲労と膝痛 -鍼灸学校の学生時代ー

母を無事に自宅で看取ったあと、私は東京に戻り、44歳で鍼灸学校の学生になりました。

医療に興味を持った私が、数ある医療職の中で鍼灸師を選んだ理由は、ある本との出会いがあったからです。

それは『国境なき鍼灸師をめざして―メキシコ・グアテマラを行く』(山本慎一著)という本でした。

出版社勤務を経て鍼灸師になった男性が、鍼灸の治療をしながらメキシコやグアテマラの村々を旅する紀行文です。

旅が好きだった私は「鍼灸という技術を持てばこんな生き方も出来るんだ!」とひどく興奮しました。鍼灸師には開業権があるので、国内はもちろん、海外でも仕事が可能なのがとても魅力的に感じたんです。

鍼灸学校に通った 3 年間は、昼間は介護施設で働き、週末はマッサージのアルバイトを掛け持ちしながら勉強しました。

母の介護時代に傷めた腰と股関節がちゃんと治っていなかったからか、介護のバイトで今度は膝を傷めてしまいました。学校とアルバイトでほとんど休みを取っていなかったので、いつも疲れていて、いつもどこかが痛い状態でした。

鍼灸学校での実技の授業は、先生が生徒を患者役にして実演してくれるのですが、私はいつも真っ先に手を挙げて患者役を希望し、先生に治療をしてもらっていました。同級生からは「不定愁訴のデパートメント」と呼ばれていました(笑)。

学生生活は肉体的には大変でしたが、それ以上に学校で学ぶこと全てが興味深く刺激的でした。人生で初めて勉強することが楽しいと思いました。

特に鍼をするのが楽しくて、授業が終わるとクラスメートと鍼の練習をし、家では毎日自分に鍼を打って体の変化を観察しました。体があちこち悪かったので、実験材料に事欠かなかったのは良かったです(笑)。この時に始めた、毎日自分に鍼をうつ習慣は今でもずっと続けているんですよ。

深層筋治療との出会い

鍼灸学校を卒業した後は、鍼の施術経験をどこで積むのかという課題に直面しました。

私の中では 48 歳で免許を取り、2 年間鍼灸院で修業をして技術を磨き、50 歳で独立するという青写真がありました。

とはいえ、50 歳を目前にした女性を弟子入りさせてくれる鍼灸院などそうそうありません。

鍼灸学校には色々な求人がありましたが、私は鍼灸院での修業にこだわっていました。それは、整骨院や介護施設では鍼の技術を身につける事は出来ず、たとえ出来たとしても何年もかかるからです。

私はすでに48歳で、鍼で食べていくしか後がなかったので、必死でした。

来る日も来る日も憑かれたようにインターネットで鍼灸院の求人を探しました。

そして、卒業から 2 か月後。とうとう見つけたんです。

それは求人ではなく、深層筋治療の第一人者である角谷敏宣先生の技術セミナーでした。そのセミナーには、受講者の中から 1 名を研修生として迎え入れるという、参加者特典がありました。

私には研修生に選んでもらえる勝算は全くありませんでしたが、技術を磨きたいという熱意は誰にも負けない自信はあったので、このセミナーにかけることにしました。

そして 4 か月の終了後、6 名の参加者の中から私は研修生に選ばれました。

参加者の中で最年長だった私を選んで下さった角谷先生には本当に感謝しています。地獄で仏にあったような気持ちでした。実は角谷先生と私は誕生日が同じなんですよ。不思議な縁だと思いませんか?

こうして私は自分の青写真通り、2年間の修業を経て、50歳で治療院を開業することができました。

私の施術に対するこだわり

最後に、元MPS患者だった私の施術に対するこだわりをご紹介しますね。

1.痛みを早く取る。

痛みは、痛み自体もつらいですが、痛みがあることによって、やらなければいけない事ややりたい事が出来なくなるのもつらいんですよね。痛みを早期に取りのぞくことは、MPSの治療の最優先事項でもあるので、一度の施術でやれる事はすべてやって、痛みが早く消えるように努力しています。

2.不安を取りのぞく。

痛みの原因がわからない、いつまでこの痛みが続くのか、と考えることは物凄く不安です。不安や心配事があると痛みを強く感じてしまうので、患者さんの不安を取りのぞく為に、私がお答えできることにはすべて丁寧にお答えします。

3.再発を防ぎ、予防する。

体の痛みの原因は、その多くがご自身の体の使い方、動き方のクセ、考え方のクセ、生活習慣にあります。ですが、これらの事は自分ではなかなか気がつけないんですよね。MPSを改善するには、治療に加え、日常の動き、姿勢、考え方、生活習慣の見直しが必須です。治療の部分がなるべく少なくなるよう、正しい姿勢や動き方、セルフケアをお伝えします。

 

長い自己紹介にお付き合いいただいて、ありがとうございました。

私の経験と習得した技術が皆さまのお役に立てればとても嬉しいです。皆さまどうぞ、「深層筋のはり治療院FREE」をよろしくお願いいたします。