プロフィール

代表

姜 榮曙(かん よんそ)
大阪生まれの韓国系日本人3世。フリーランスのイベントプランナーから実母の介護生活を経て鍼灸師となる。東洋鍼灸専門学校鍼灸科夜間部卒業。卒業後はパソコン病・パニック障害専門の鍼灸治療院に勤務し、運動器と自律神経の疾患を中心に臨床経験を積む。深層筋をターゲットにした施術が専門で特に首の施術が得意。2016年6月深層筋の鍼治療院FREE(旧あんにょん鍼灸院)開院。

私が48才で鍼灸師になるまで

初めまして。姜榮曙(かんよんそ)です。

タイトルにある通り、私は48才で鍼師、灸師の国家資格を取り鍼灸師になりました。鍼灸師になる前はイベントプランナーだったので、50才を目前に全く違う業界へ転職した訳です。私自身人生の後半を鍼灸師として生きることになるとは想像もしていなかったですし、友人や知人からも「なんで鍼灸師!?」と、とても驚かれました。

「なんで鍼灸師?」と聞かれたら「流れの中でこうなった」としか答えられないのですが、今になって思えば鍼灸師になるのは必然だったような気がします。そう思う理由を私の自己紹介を兼ねてお話させて頂きます。

エンジン全開で疲弊したフリーランス時代

私は鍼灸師になる前はフリーランスでイベントの企画をしていました。広告代理店から依頼を受け、展示会、文化イベント、販売促進イベントなどを企画する仕事です。当時女性のイベントプランナーは少なかったので、広告代理店からは重宝されそこそこ忙しく働いていました。

重宝されていたとは言え、フリーランスは毎回結果を出さないと次の仕事はもらえません。クライアントからの無茶ぶりと要望には無条件に応え、企画コンペともなると事務所に寝袋を持ち込んで24時間体制で仕事をしていました。

睡眠時間、食事時間はバラバラで、仕事の合間をぬってはストレス発散の為に飲みに行くという生活ぶりでした。健康的な生活とは言えない毎日でしたが、仕事も遊びもアクセル全開だったのでそれなりに充実していました。

40代が目前に迫り、仕事の数が減り始めた頃から色々と体の不調が出始めました。慢性的に感じていた首・肩・背中のこりが取れにくくなり、深い呼吸ができなくなりました。

そのうちに些細な事でイライラする、突発的に激しい胃痛に襲われる、眠れない、寝てもすぐに目が覚めるといった自律神経症状を発症しました。週に数回のマッサージ通いが欠かせず、睡眠導入剤がないと眠れなくなりました。

40才を迎え「この生活をこのまま続けて行くのはキツイなぁ」と思い始めた頃、母が脳梗塞を起こし寝たきりになりました。

体の痛みと心の痛みに苦しんだ介護生活

母は半年ほどの間に2度の脳梗塞を起こし、かろうじて命は助かったものの深刻な後遺症(右半身麻痺、高次機能障害、ジャルゴン失語症(意味不明な言語))が残りました。日常生活のすべてに介助が必要となったので、私が実家に戻り母の介護をすることになりました。

介護離職をした話を人にすると「一人っ子ですか?」と聞かれることがあるのですが、実は私7人きょうだいの末っ子です。父は私を授かってほどなく末期の胃がんが解り、私が生まれる一か月前に他界しているので、母はとても苦労をして私たちきょうだいを育ててくれました。そんな事情があったので、私は「この機会に親孝行をしないと絶対に後悔する」と思い、進んで母の介護を引き受けました。

覚悟していたとはいえ24時間在宅介護の生活は、肉体的にも精神的にもホントに大変でした。大変すぎて当時の記憶があまりないほどです。

私は介護をする時の体の使い方を全く勉強しないまま介護を始めてしまったので、ご多分に漏れず慢性的な腰痛を抱えることになりました。もともと上半身がガチガチだったところに腰痛が加わったのでまさに満身創痍でした。

介護生活が長くなってくると体の痛みだけでなく、心の痛みも加わりました。自分だけが社会から切り離されたような疎外感、早くこの生活が終わって欲しいと願ってしまう罪悪感、これからの生活への不安などで気持ちが暗く沈みました。悩みが深まるにつれ腰痛はどんどん悪化していきました。

介護生活が3年目に入ったころ腰痛がピークに達しました。5分と続けて歩く事ができない間欠跛行(かんけつはこう)の症状が出始めたのです。この時は気の強い私も「母を看取るまえに私の体が壊れてしまう...」と、精神的にかなり追い詰められました。

医師の言葉に疑問を持った腰痛治療

近所の整形外科を受診するとレントゲンを見ながら医師がこう言いました。「あなたの腰椎の4番と5番の間にある椎間板はペシャンコにつぶれていて2つの骨が一つの骨のようになっている。それが痛みとしびれを起こしているようだが、加齢もあるしこれはもう治りません」。

患者にとって「もう治らない」というのはかなりショックな言葉です。それでも痛みとしびれをどうにかしてもらわないといけないので、医師に指示された通り、電気治療とリハビリの為の通院を始めました。が、すぐに止めました。それは毎回の待ち時間の長さにうんざりしたのと、どの患者にも同じように行われる流れ作業のような施術では私の症状は絶対に治らないと感じたからです。これは今思うととても正しい直観でした。

結局私の腰痛としびれはネットで探した鍼灸整骨院の治療で最悪の状態を脱しました。ここの院長が整形外科の医師と違ったのは、ちゃんと触診をしてくれて(整形外科では触診はありませんでした)、痛みとしびれの原因はガチガチに硬くなっている腰とお尻の筋肉だから筋肉を柔らかくすれば治ります、と説明をしてくれたことでした。

治療は鍼とカイロプラクティックを組み合わせたものだったのですが、ここの鍼治療が腰痛以上に痛くて毎回大量のあぶら汗を流しました。今ならこの治療院には絶対に行きません!

強烈な治療に耐えたおかげで、母を無事に自宅で看取ることができました。あれから10年。きっと私の椎間板はつぶれたままなのでしょうが、あの時のようなひどい痛みは一度も出ていません。整形外科医の言う事を素直に聞かなくて良かったと心から思います。

鍼灸師を目指すきっかけになった成功体験

私が母を看取ったのは、奇しくも母が私を生んでくれた年齢と同じ44才でした。この年齢から新しいキャリアをスタートするのですが、私は前職を辞めた時に次は職人になろうと決めていました。イベントプランナーの時にさんざんクライアントの無茶ぶりに泣かされたので、身につけた技術で食べていく職人という職業に強い憧れがあったのです。定年がないというのも魅力でした。

具体的になんの職人になるかは考えていませんでしたが、介護を続けている内に"自分は医療関係に向いているんじゃないか"と思うようになりました。そう思うようになったのは一つの成功体験があったからです。

母は急性期の病院を退院する時は食事を取るのが難しい状態でした。担当医からは胃ろう(胃からの経管栄養摂取)を勧められましたが、家族の間で意見が分かれ(こういう時に大家族の意見をまとめるのは大変です...)、とりあえず食べられるように家で頑張ってみますと母を自宅に戻しました。胃ろうに踏み切れなかったのは、体の自由を失った母に残された唯一の楽しみを奪いたくなかったからです。

あれこれ努力したものの母に命をつなぐほどの食事を取らせることは出来ず、再度の家族会議の末胃ろうの手術をすることを決めました。この時私は「これは母に体力をつける為の一時的な処置で、必ず口から食事が取れるようにしてみせる」と心に誓いました。

そこから母の機能回復の為の勉強を始めました。生理学、東洋医学、嚥下のしくみ、リハビリ、脳血管障害の後遺症を克服した人の話など様々な本を読み、作業療法士の先生に質問をし、意見を聞きながら、母にオリジナルの食べる訓練とリハビリを行いました。

習得した知識を元に、あれこれ試して母の反応を見るのは《発見がある》という意味でとても面白い作業でした。オリジナルの訓練法やリハビリを考えるのにイベントプランナーだった経験が役に立ちました。生来の根気強い性格も功を奏したと思います。

手術から約半年後。母は胃ろうの管を外し焼き肉が食べられるまでに回復しました。口から食事が取れるようになっただけでなく、感情表現が豊かになり、利き手ではなかった左手も起用に使えるようになりました。

主治医は「長く医者をやっているけど、85才を過ぎて胃ろうを外し、こんなに元気になった人は見たことがない。奇跡ですね」と仰いました。看護師さんからも「あなたは介護者として100点満点です」とほめていただきました。この成功に気を良くし"医療関係に向いてるかも?"と思いました。また母の目覚ましい回復ぶりを目の当たりにして、人体に対する興味が強くなりました。そして鍼灸師という職人になろうと決めました。

鍼灸学校に通った3年間は、昼間は介護施設で働き、週末はマッサージのアルバイトを掛け持ちしながら勉強しました。肉体的には大変でしたが、それ以上に人体について学ぶこと、ただの針金である鍼が体に変化を起こすのを学ぶことがとても楽しかったです。

私には一つ自慢できることがあります。それは鍼灸学校で鍼の打ち方を教えてもらった日から今日まで、一日たりとも鍼の練習を欠かしたことがないことです。それほど鍼治療が好きになりました。

鍼灸学校の卒業後はどうやって鍼の施術経験を積むかという課題もありましたが、深層筋治療の第一人者である角谷敏宣先生との出会いがあり、開業できるまでに育てていただきました。実は角谷先生と私は偶然誕生日が同じなのです。そんなところにも鍼灸師になることが必然だったと思える不思議な縁を感じます。

経験から学んだこと、鍼灸師として大切にしていること。

私はこれまでの自分の経験を通して「不摂生や体を酷使すると必ず後になってツケが回ってくること」「体の痛みは精神状態を悪化させ、悪い精神状態は体の痛みを悪化させること」を学びました。これは東洋医学の特徴である『病気には必ず原因がある』『心身一如(心と体はひとつである)』に通ずるとても大切な学びでした。

鍼灸師になったいま、私が一番大切にしていることは《患者さまが抱える痛みを早く取りのぞき、患者さまを不快な感情、不安、恐怖から一日でも早く解放する》ことです。これは私が腰痛で苦しんだ時に望んだことでもあります。

また、私は痛みの種は自分の日常生活の中にあることを知っているので、体を傷めるような生活を見直すこと、可能なかぎりストレスは排除すること、日々の体のケアの大切さをお伝えするのも私の使命だと考えています。

人生100年時代が現実味を帯びてきた今、健康寿命を延ばすことがとても重要になってきました。健康寿命を延ばすには運動器(動くことに関わる骨、筋肉、関節、神経などの総称)の健康が欠かせません。その中でも体を動かすエンジンの役割を担う筋肉の健康が最も大切です。強く柔軟な筋肉を維持していれば、身体活動を活発に行えるだけでなく、様々な内臓疾患のリスクは減り、脳の活性化ももたらして、生活の質は確実に向上します。

私は運動器疾患を専門にする鍼灸師として、皆様に信頼され、頼りにされる存在でありたいと思っています。その為に日々技術の向上と知識の習得を怠らず努力し続けて参ります。皆様どうぞよろしくお願いいたします。